民間の創意を生かせる電力行政への転換

11/5/11付け日経社説「政府の責任も重い原発賠償」

社説は「東電が最適な事業計画や資本政策を作れるよう経営に関与する責任が、政府にもある」と主張している。政府が東電の経営に関与するのは「すでに東電は半公的管理といえる状態だ」というのが根拠のようだ。


破綻企業でもない上場企業の経営に関与すること自体、如何かと思わせるがそのことは置いておこう。それというのも政府には電力行政をどのようにするかというもっと緊急度の高い重要な政策課題が待っているからだ。計画停電から8ヶ月近くたったが今冬の電力不足に対してはやはり節電で乗り切るという。何も進んではいない。電力会社は軒並み赤字を計上している。燃料代によるものだ。高価格の電力料が現実味を帯びてくる。対策は何もなされていない。国民は低品質で高価格の電力を甘んじて受け入れなければならないようだ。


このような課題を前にして、たかが一民間企業の経営に政府の資源を投じる余裕は無いだろう。地域独占と引き換えの供給責任体制は戦後の焦土の中から立ち直るための社会主義的色彩の濃いモデルだった。ちなみに昭和30年のGDP(GNP)は8.3兆円だった。そのモデルは、震災の前に今の時代に対応しきれていないことを露呈してしまった。GDP500兆円の時代に相応しいもっと民間の創意が生かせる仕組みに作り変える必要がある。


たとえば、電力10社の売上高合計は約16兆円である。これを効率化し、10%の値下げを実現すると電力会社の利益を削らずに国民に1.6兆円の購買力を戻すことになる。そこに大きな成長のチャンスが生じるであろう。消費税率引き上げの影響をいくらかでも緩和できるであろう。


民間の創意を生かせる仕組みとは、その一端を11/4拙ブログで披露した。野田首相は、計画停電なんて世紀の愚策を民主党政権が行ったことを肝に銘じて、骨太な本筋を突いた政策に向かって欲しい。