電力会社の社長は悪者か

今週は、関電・八木社長が枝野経産相を不快にさせた発言があった。
産経新聞:「次は高浜」で陳謝の関電社長 政府の不快感にも発言撤回せず

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120727/wec12072723480011-n1.htm
2012.7.27 23:47 (1/2ページ)[westナビ]
 関西電力八木誠社長は27日、福井県庁で取材に応じ、大飯原子力発電所3、4号機(同県おおい町)の次の再稼働候補として高浜原発3、4号機(同県高浜町)をあげた自身の発言に関して「言葉が足りなかった」と陳謝した。
(中略) だが、枝野経産相が25日の会見で「大変不快な発言だ」と批判。藤村修官房長官も26日、「(次の再稼働は)一切決めていない」と断言した。
 政府側の非難を集めたため、関電の森詳介会長が社長発言を「おかしいことは言っていない」と擁護したものの、枝野経産相が27日に再び「原子力に対する国民の不信を認識して行動することが重要」と指摘した。
(以下省略)

八木社長は何かおかしなことを言っているのだろうか。電力事業者として上場企業の社長としてまったく当たり前のことを言っただけである。「原子力に対する国民の不信」を持ち出す経産相の方が政治の問題と電力の供給責任の問題をごちゃ混ぜにした、業界指導を超えた過剰介入のように見える。

このことは、福島第一のときの菅首相の言動を思い起こさせる。

7/29日経「検証 原発事故調査報告書」では、清水社長(当時)の撤退発言を次の様に要約している。

官邸と東電本店の関係では各事故調の見解が分かれた。
東電の原発からの「全面撤退」問題を巡り、国会事故調は東電側が必要な人員を残す「退避」と伝えたことを根拠に「官邸の誤解」との立場に立つ。
民間事故調は全面撤退を否定した東電の主張を「十分な根拠があるとは言いがたい」と分析。
政府事故調は政府と東電の主張の食い違いの理由を「十分解明するに至らなかった」とした。

これらからは「全面撤退」は悪で、最後まで東電が留まって事態の収拾に当たるべきだという考えが当然の前提とされているようだ。だがその考えは正当か。

清水社長があの時点で従業員の生命と安全を考えて全面撤退を考えたとしたらそれはまっとうな経営者の考えることであった。民間の経営者には従業員の生命を危険にさらしてまで業務を遂行させる権限は持っていない。それは、個々の従業員の基本的人権にかかわることだからだ。むしろ、東電に全面的に依存してきた官邸の不用意さや東電撤退の事態に対処する危機管理計画が欠如していたことが問題なのではないか。「全面撤退」を言ったか言わないかは、ワイドショーのテーマとしては面白いかもしれないが、この国のこれからのリスク管理戦略を考える上にはあまり役に立ちそうも無い。

これに続いて、菅首相(当時)は産経新聞によれば次の様な発言をした。

 東電の記録などによると、「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」などと、怒鳴り散らし恫喝していた。

この発言はどの事故調の報告書でも取り上げられていないようだが、民間の人間を死地に送り出す恫喝である。もし菅氏が清水社長に命じて「老人チーム」を組織して、現地へ派遣させたとしたら、菅氏も清水社長も殺人罪の告発を受けていたのではないだろうか。清水氏はもとより民間人でそのような権限はない。菅氏にしても、非常事態宣言法が施行されていないわが国では、そのような命令を下す権限、正統性はなかったであろう。仮にそのような権限があったとしても、自衛隊、警察、消防隊などの官を後回しにして民間を先行させるやり方は批判を免れないだろう。
やはり菅氏には、(1)世の中の動きの道理を知らない宰相としての資質の欠如、(2)自己の有する権限の由来である正当性への洞察、指導者としての自覚の欠如が浮かび上がってくる。

日経検証では、民間事故調による細野豪志首相補佐官(当時)への聴取内容を掲げる。「日本を救ったと今でも思っている」と。細野氏が誠実な政治家であれば、その言葉の背後にあるものを語ってほしいと願う。

各調査報告には、福島第一の事故の評価が無いように思われる。すなわち、あれより酷くなる可能性はあったのか、あれが最悪の結果であったという点である。政府は国会や官邸を動かそうとしていた様であるから、もっと酷くなる可能性はあったと見るのが自然であろう。その場合、東京は廃墟になっていたのか。その辺りを知りたいところである。