中国と欧米の違いを国民の社会経済観から論じる一文
米中の対立が激しさを増している。この対立を、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を引用し、社会と市場の秩序付の方法は、その国の歴史的・伝統的な個人の社会経済観により決まるという立場から、米中対立の文明の衝突としての性格を読み解く、投稿があった。
8/5日経経済教室「アフターコロナを探る中、米中“文明の衝突”避けよ」寺西重郎・一橋大学名誉教授。
寺西氏は、西欧の社会経済観と中国の社会経済観を取り上げる。
西欧のそれは、自由・人権・民主主義という啓蒙的価値観であるとして、人間としての啓蒙的価値の尊重が前提になるとする。
これに対し中国では、公共の観念に基づく集団的意図性は人々の内面的な社会観では成立しなかった。独特の死生観に基づく家族観と先祖崇拝が社会を縦に分断した結果、公共意識による社会的な意見の集約が難しくなり、ルールとしての法制度による市場と社会の秩序付を困難にした。
中国での社会と市場の秩序付の方法は「士庶論」とも呼ぶべき、社会をエリートと非エリートから成る二重構造としてみる社会構造観から生まれたさん人治による秩序付として要約できる。三国時代は門閥貴族が、隋唐時代以降は科挙に合格して士大夫と呼ばれた官僚が、おそらく現在では共産党員が、エリート層を構成すると意識しているとみられる。
士庶論の重要性は朱子学の成立後、理気論の人間観と結合したことだ。すなわち本然の性たる天の理を会得した人は聖人になり、その他の多くの人は気質の性にとどまり未完成な道徳修養のままの状態に生きるという人間観だ。
こうして中国での社会の秩序付の基本は、士庶論と理気論に基づく人治を基本とするものとなった。聖人として天の理を体得した集団が社会のリーダーとなる。一方、非エリート層はエリートの判断下で自由や人権の制限を含む罰則を前提に許容されているのだ。
寺西氏は衝突を回避するには、お互いがリスペクトすることが必要だと述べるがリスペクトできなければ、衝突は避けられないのだろうか。