日独 戦後処理の違いは

6/14日経「日独 戦後処理の違いは」は、どうしてこの時期に載せられたのか。メルケル首相の来日、ドイツでのサミットに間に合わせようとしてタイミングが会わなかったのか。それとも、日韓国交回復50周年を迎えるに当たって、韓国側からの「ドイツは日本とは違って適切に歴史問題を処理している」と言う非難に先手を打つものなのか。ちょうど今日の「今を読み解く」に「日韓関係と歴史認識問題」「相手の考え知る努力を」とペアになって、興味深い。

本記事では、歴史問題を巡る日独の主な取り組みを(1)賠償や財産・請求権問題は?、(2)政治指導者の発言は?、(3)周辺国の反応は?に別けて解説している。

だがこの解説では掘り下げが足りないように思える。日独の戦後の対応に大きな違いがあるのは、戦中の指導者をどう取り扱ったかである。

ドイツは、戦中の犯罪行為をすべてヒトラーナチスの責任とした。これに対し、日本は時に戦中の指導者を擁護するような姿勢を示す。その意味で、河野談話(93/8)や村山談話(95/8)は不完全である。河野長官や村山首相は、謝罪と反省を述べるが、その愚行を誰が犯したのかは語らない。

ドイツは戦中の犯罪的行為を全て戦中の指導者の責任にしたため、戦後のドイツ人と周辺国は和解する口実を得ることができた。ところが日本は、戦中の指導者の責任を曖昧にすることによって今生きている日本人も戦中の指導者の末裔であるかのようにみなされ、謝罪を繰り返してもそれを本心とは受け止めてもらえなくなっている。

過去の人より今生きている人たちの幸せを考えるのが政治の本義であると思うが、この国では過去を不可侵とする気持ちが強いようだ。