5/20の党首討論 安倍首相はポツダム宣言を詳しく読んでないことを認める

志位共産党委員長との討論で明るみに。

これでは、戦後レジームからの脱却とか先の大戦への反省とは、一体何なんだ。

5/20 産経 安倍首相「村山談話、小泉談話を全体として受け継いでいく」 志位委員長「間違った戦争との認識あるか?」
http://www.sankei.com/politics/news/150520/plt1505200050-n2.html
 
志位氏「私が聞いているのは何も難しい問題じゃない。過去の日本の戦争が間違った戦争か、正しい戦争か、その善悪の判断を聞いたんですが、全く答えがなかった。この問題はすでに、70年前に歴史が決着をつけている。戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言では、日本の戦争についての認識を2つの項目で明らかにしている」
「ひとつは第6項で、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服に出ずるの過誤を犯した勢力を永久に取り除くと述べている。日本の戦争について世界征服のための戦争だったと明瞭に判定している。日本がドイツと組んでアジアとヨーロッパで世界征服の戦争に乗り出したことへの厳しい批判だ。
もうひとつ、ポツダム宣言は第8項で、カイロ宣言の条項は履行せられるべく、と述べている。カイロ宣言とは1943年、米英中3国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言だが、そこでは3大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っていると日本の戦争について、侵略と明瞭に規定するとともに、日本が暴力と強欲によって奪った地域の返還を求めている」


安倍首相 「このポツダム宣言を、われわれは受諾し、そして敗戦となったわけだ。そして今、私もつまびらかに承知しているわけではないが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、例えば日本が世界征服をたくらんでいたということなども今、ご紹介になられた。私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思うが、いずれにせよ、まさに先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけであって、われわれはそのことは忘れてはならない。このように思っている」


志位委員長 「私が聞いたのはポツダム宣言の認識を認めるのか、認めないのかだ。はっきりお答え下さい」


首相 「いま申し上げたように、まさにポツダム宣言を私たちは受け入れて、これがまさに戦争を終結させる道であったということだ。受けいれることによって終戦を迎え、そしてまさに、日本は平和国家としての道を歩き始めることになったということではないか、と思う」


志位氏 「私はポツダム宣言が認定している間違った戦争という認識を認めないのかと聞いたんですが、認めるとおっしゃらない。これ、重大な発言だ。戦後の国際秩序というのは、日独伊3国の戦争は、侵略戦争だったという判定の上に成り立っている。ところが首相は侵略戦争はおろか、間違った戦争だともお認めにならない。首相が進めようとしている集団的自衛権の行使とは、日本に対する武力攻撃がなくても、アメリカが世界のどこであれ、戦争に乗り出した際に、その戦争に自衛隊を参戦させるというものだ」
「しかし、米国の戦争の善悪の判断が首相にできますか。日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断もできない。米国の戦争の善悪の判断、できるわけないじゃないですか。戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない、そういう首相が日本を海外で戦争する国につくり変える戦争法案を出す資格はありません。撤回を強く求めて終わります」

きっこのブログ
5/20 ポツダム宣言を読んだことがない安倍晋三首相
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2015/05/post-018b.html

ポツダム宣言についてのびっくりする無知)
安倍首相の歴史認識のトンチンカンぶりは全国民の知るところだけど、この「ポツダム宣言」については、マジでシャレにならない発言を過去にも炸裂させてる。
それは、2005年の小泉政権下でのことだ。当時、小泉内閣の閣僚でもなく、何の役職も背負ってなかった安倍晋三議員は、そのぶん口が軽かったのか、文藝春秋社が当時発行していたオピニオン誌『諸君!』の2005年7月号での対談の中で、「靖国参拝ポツダム宣言に反している」という野党議員に対して、次のように発言したのだ。

安倍晋三議員 「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかりに叩き付けてきたものです。そんなものを持ち出して、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で日本の総理を責めあげる」

おいおいおいおいおーーーーい!これマジで言ってんの?中学生でも普通に知ってるように、「ポツダム宣言」が日本に提示されたのは1945年7月26日で、日本が受諾しなかったから11日後の8月6日に広島に原爆を投下され、8月9日に長崎に原爆を投下されたんだよ。そして、2発の原爆でボロボロにされた日本は、とうとう8月15日に「ポツダム宣言」を受諾して降伏したんだよ。何で「ポツダム宣言」の提示が原爆投下よりも後なんだよ?