安保法制は長年の宿願への第一歩

安保法制は、首相が記者会見で述べたように「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」のが建前である。首相の説明でわかりにくいのは、自ら評価している戦後70年の平和は安保がもたらしたことに余り言及しないことだ。「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」という建前と安保を重く見ていないことの間には、何があるのか。

首相の長期展望は、安保を廃棄してアメリカと対等な軍事同盟を結ぶことのようである。首相には対等な軍事同盟によって始めて日本は新の独立国家になるという信念があるようだ。だからここで安保を前向きに評価してしまうと、何時までも安保が残って安保を廃棄する目標との間で自縄自縛になってしまう。

対等な軍事同盟を重要な目標とすると首相の野望はここで止むことにはならない。野党が批判する安保法制は、そのための踏み石に過ぎない。

対等な軍事同盟が祖父・岸信介以来の宿願であることを毎日の記事が報じている(下記に引用)。安保法制、憲法改正、対等な軍事同盟の締結、これによって戦後レジームからの脱却が完成する。首相は国民に率直に国家の進路を語るべきではないだろうか。

5/27 毎日
Listening:<記者の目>集団的自衛権の国会審議=青木純(政治部)
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150527org00m010005000c.html
2015年05月27日
安全保障関連法案の閣議決定後、記者会見で説明する安倍晋三首相=首相官邸で14日、宮間俊樹撮影
 ◇日米関係変化、説明を
 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案の審議が国会で始まった。憲法との関係や、どのような場面で行使が容認されるのかなどが焦点になりそうだ。それらと共に、国会でしっかりと議論してもらいたいことがある。行使できるようになることで、戦後日本に大きな影響を与えてきた日米関係が大きく変わるという点だ。
 集団的自衛権は、自分の国が攻撃されていなくても、自国と深い関係にある他国が攻撃を受けた場合に助けに行くことができる権利だ。日本はこれまで、「戦力を持たない」などと定めた憲法の下で、自国が攻撃されたとき以外は武力を使えないという制約を設けてきた。このため、日本の防衛政策の根幹である日米同盟は、米国が日本を防衛する義務を負い、日本は米軍に基地を提供するという基本構造になっている。
 ◇対等な関係構築考えた岸元首相
 半世紀以上前、この構造に疑問を抱き、集団的自衛権の行使が可能になれば、米国が日本を守り、日本が米国を守るという対等な関係を築けると考えた人物がいた。それが安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相だ。
 岸氏は1960年、日米の安全保障協力の枠組みを定めた日米安保条約を改定した。改定により、米国の日本防衛義務と日本の基地提供義務を明記。日本が国防費を抑え、高度経済成長を達成する基盤になった。
 しかし、日米関係を対等にし、日本を「真の独立国家」にしたいと考えていた岸氏が目指した「米国が日本を守り、日本も米国を守る条約」を結ぶことはできなかった。壁となったのが集団的自衛権の問題だ。岸氏は「日米対等の意味における真の相互防衛条約を日本が履行しようとすれば、今の憲法は不適当だ」(原彬久編「岸信介証言録」)と語っている。
 その集団的自衛権について、今の憲法の下でも「日本の存立が脅かされる危険がある」など一定の条件を満たせば使えるとしたのが昨年7月の政府の閣議決定だ。法律が整備されれば、実際に行使が可能になる。節目節目で岸氏への尊敬を示してきた安倍首相が、岸氏が思い描いた「対等な日米関係」を強く意識しているのは間違いない。
 ところが安倍首相は、岸氏が目指した「対等な日米関係」や「真の独立国家」と今回の行使容認の関係について、多くを語っていない。中国の台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発を念頭に、安全保障環境が厳しさを増しているため、米国など各国との連携を強化して国民の命を守らなければいけない、との説明を繰り返している。
 そうした主張自体は間違っているとは思わないが、今回の安保関連法案が成立して集団的自衛権の行使などが可能になったとしても、それだけで国民の命が守られるわけではない。
 ◇自国の平和と安全どう守る
 「対等な日米関係」を目指すならば、日本も米国の求めに応じて応分の役割を果たさなければならなくなる。「真の独立国家」と言うならば、独力なのか他国と協力するのか、平和的な手段か軍事的な手段かも含めて、どうすれば自分たちの平和と安全を守れるかを常に考えなければならなくなる。
 安倍首相は法案を閣議決定した14日の記者会見で「安保条約を改定した時もPKO(国連平和維持活動)協力法を制定した時も『戦争に巻き込まれる』と批判が噴出した。しかし、批判が的外れだったことは歴史が証明している」と力を込めた。
 だが、安保条約改定への反対には、国会での強行採決に対する批判も大きな割合を占めていた。岸氏は「証言録」の中で「新条約を調印した後、国会を解散して国民の意思を聞いておくべきだった」と述べている。強行採決で「非民主主義的」という批判を浴びた岸氏も、自国の平和と安全をどう保つかという問題については、国民の理解を得るべきだったと考えていた。
 首相には「歴史が証明する」などと言ってほしくない。日米関係が変われば、日本の国のあり方も確実に変わっていく。国際社会の問題に日本が直接向き合わなければいけない状況や、米国に対してイエス、ノーをはっきり言わなければいけない状況はこれまで以上に増えていく。その判断の責任は首相だけではなく、我々国民も負うことになる。
 大切なのはどんな法律を定めるのかよりも、その法律を使う国民の意識のあり方だ。首相には、国民と共に歴史を作っていく努力をしてほしい。そのために、国会審議では自らの問題意識を真正面から語ってもらいたいと思う。