リスク管理と人気投票

リスク管理と人気投票

リスクに立ち向かうとき、そのリスクを評価しリスクをどのように制御するかを考えるのは常道である。リスクを回避したときのリスクも同時に考慮されなければならない。それらを総合的に判断し、決断するのが指導者の仕事である。それを行わず、世の中の流れの中で有耶無耶にひとつの方向に流されるのは、戦前の指導者が若手将校の暴走に歯止めをかけられなかったことと同じように映る。


確かに福島第一の総括も終わってはいない。決断するには材料が少なすぎるとの言い分もあろう。それでも世の中は次々と回っていく。その時々で不十分でも判断を下さなければならないことは多くある。拙速を尊ぶのではないが、場合によっては拙速で仮の手当てをすることも必要であろう。それは応急的な処置で、その時間を買っている間に次の手を打つという現実的な進め方があっても良い。現に金融政策では、市場に資金を供給して市場の動揺を抑えその間に改革を進めるという手法が採られることがある。白か黒かが決まるまで、何もしなくても良いということではない。


福島第一の経験は、政府、与党、監督官庁、学者らへの信頼を失うことになった。それに怯えて次の一歩を踏み出せないのは現実への真摯な対応とはいえない。失った信頼を取り戻すのは、現実に真剣に取り組みそれを制御することができたときだ。原爆廃絶を願っていても、現実に関与しないかぎり隣国が原爆をもてあそび危機が顕在化したように、何もしないことのリスクも小さくはない。


ここで筆者は原発再開を主張しているのではない。判断する材料が出てこないことへの危機を述べているのだ。政府がどのようなリスク認識をしていて、それをどのように制御(コストを含めて)するのかを国民に率直に伝えてほしいと願う。国民は冷静な判断ができるということを信頼してほしい。それによって人気投票で動くような政治が少しでも改善できれば良いと思う。