3/25日経・日曜に考える「電機、選択と集中の誤算」

3/25日経・日曜に考える「電機、選択と集中の誤算」「縮小均衡を繰り返す」「新事業の芽摘み中核躓く」

この特集で、NECの例が取り上げられ、IBMとの比較を次のように述べている。
「サービス化への転換に成功した米IBMでは、93年にルイス・ガースナーCEOが大改革を始めた。NECは海外勢から20年近く遅れたことになる」と。

ちょうど、筆者はルイス・ガースナー「巨像も踊る」(Who says elephants can’t dance)を読み返していたので、付け加えたい。企業再建を行うときの彼が学んだ点である。

むずかしいこと、痛みの伴うことをやらねばならないのであれば、それがどんなことであれ、迅速に実行すべきであり、具体的に何をするのか、そしてそれはなぜなのかを全員に周知徹底すべきだ。ひとつの問題を長々と考えたり、問題を隠したり、部分的な解決策を小出しにしたりしながら景気が良くなって問題が自然に解消されるのを待っていると、つまり、ぐずぐずと先送りを続けていると、問題は必ず深刻化する。私は問題をすばやく解決して、新たな目標に向けて前進するのがいいと考えている。

ガースナー氏の見解に対し、NECは、「懸案だったパソコン事業も11年1月に中国のレノボ・グループとの合弁会社に移管」とあるように徹底されていない。お手本にしたかもしれないIBMはとっくにパソコン事業を切り離している。

初期の改革でも特に革新的だが、目立たなかったものに取締役会の改革がある。私の就任当時(93年3月)、取締役は18人で、そのうち4人が社内の人間だった。これほど人数が多いと手に負えないし、特に実験を持つ執行委員会で現役と引退した役員の比率が高い点を考えれば、社内の人間が多すぎると思った。(中略)私は数人の取締役に内密に接触し、企業統治について議論を重ねた。(中略)94年末時点で、取締役会は12名になった。社内の人間は私だけだ。1年前のメンバーのうち、残ったのは8人だけだった。

ガースナー氏が辣腕を振るえたのも、過去のしがらみを断ち切り、自分が選んだ取締役を取締役会のメンバーにしたからだ。これに比べ日本企業の場合、前社長、前会長などが依然として力を持ち続け新社長が力を発揮できないケースが多い。アメリカ社会と日本社会の体質的な違いによるものであるが、企業では最高経営責任者に権限を集中させ思い切って腕を振るわせる必要があるように思える。もちろんそのためには暴走させない仕組みが必要であるが。NECでは、先輩役員の影響力が残されているのであろうか。

ガースナー氏は再建だけでなく、新たな成長戦略を採用している。その成長戦略が開花したからこそ、現在のIBMがある。それについては、また別の機会があれば紹介したい。