日経やさしい経済学「財政赤字の将来負担を考える」を考える

専修大・野口旭教授の5/21から5/30まで8回の連載があった。
・財政の持続可能性
・負担の世代間公正の問題
このうち、後者の負担の世代間公正について論じている。
世代間公正について、二つの主張がある。
1. 現世代から将来世代への付回しである。世代間公正の観点から許容できない。
2. 赤字国債の買い手が国内の投資家である限り、将来世代への負担は生じない。

1は、日経や財務省が主張する意見で、消費税を上げるときは政治家も賛同する。もっともらしい意見だが、家計と混同して借金は必ず返すという意識が根底にある。
2は野口教授の述べるように、(1)不完全雇用であること、(2)国内の投資家が赤字国債を引き受ける、(3)自国通貨で国債が発行される、条件を満たせば将来世代へ負担を先送りするものではない。

日本の現実にあてはまるのは、2であって、これに付け加えて一度も国債は返済されなかったということが現実である。国債残高が常に純増しているのがそのことを示す。97年の就職氷河期、14年の消費スランプは、増税の負の影響がまともに出た、しかも将来へのマイナスの影響が出た例である。統計数値はともかく、物価が上がらないのは隠れた供給超過があるからだ。家計の貯蓄が増えないから国債の引き受けが天井を打つというのは、国債発行による通貨増加を知らない空想的な論である。

次世代につけを回すというのは意味のある議論ではない。考えなければならないのは持続可能性でなければならない。GDPの2倍の国債残高と1%の成長率を前提とすると、国債金利が0.5%を超える時に黄信号になる。
次世代への付回し論を説く論者は、その論説が就職氷河期や消費スランプを招いて将来にも悪い影響をもたらすことを知っていながら、主張するのだろうか。