企業風土とか企業文化という言葉は現状を温存する役立たずのおまじない

企業風土とか企業文化はその一言で分かった気にさせる、マジカルワードだ。でも、具体的にどうするのと問われると、何も答えられらない現状を温存しようとする薬どころか毒になりかねない怪しげな言葉である。

次の記事は、東芝VWの問題の要因には企業風土や企業文化があるとしている。企業風土や企業文化は目に見えないものではなく、中にいる人間の行動が作り上げているものだ。それを洗い出し、批判に曝すことがメディアに期待されるところでである。

東芝については、「上司の意向に逆らわない、逆らえない企業風土が問題とも指摘される。権力に従順な日本の企業文化が東芝問題の根にあると海外メディアは発信した」(9/27日経「東芝問題から何を学ぶ」)。
「風通しの悪いVWの企業体質が不正を招いたとの批判は強まっている。上意下達ばかりを重んじるプロイセンの官僚組織のようだ。」(9/28日経「VW不正、独ブランドに傷」)。


ところで、9/28日経一面「VW社内、11年に指摘」は千文字足らずの記事であるが、その中で「不正」は4回、「違法」は1回使われている。東芝問題が依然として「会計不祥事」(9/27日経「東芝問題から何を学ぶ」)とされているのとは好対照である。頑なに不正会計という言葉を使わない日経こそ上意下達のように見えるけど、どうなんだい。