Will China Break ?

中国は崩壊するか?物騒な表現だが、ポール・クルーグマンの12/18付NYTのコラムの表題である。Will China Break? そこでは中国の不動産バブルの崩壊が近いことを警告している。

このコラムだけからは時折目にするもので注目するものはない。ところが、12/19日経・経済教室「先高感薄れる人民元」「管理された国際化に試練」村瀬哲司氏が人民元の変調を論じているのと併せ読むとなにやら現実味がありそうにも思われる。村瀬氏の論点は「二重相場の矛盾鮮明」「中国経済のかく乱要因に」というものであり、中国のバブル崩壊とは関係のないものであるが、そこに示されるデータが(ユーロの混乱から生じた一過性のものかは判断できないが)中国経済に何かが起こりつつある兆しのようなものを示している。

まず、クルーグマンのコラムから。私は従来中国の経済統計が当てにならないので中国のことに口を出すことを控えていたが、最近のニュース(注)は警告ベルを鳴らすに足るものである。
(注)具体的には示されていないが、12/19(月)日経によれば、中国国家統計局が発表した11月の主要70都市の新築住宅価格指数は、49都市で前の月に比べ下落した。価格が下がった都市の数は10月より15増え、調査対象の7割に達した。

不動産バブルであるという診断を下した要因を次のように掲げる。
1. 中国経済のゆがみ
GDPに占める割合:家計 35%、投資 50%、その他のうち輸出が大きな割合を占める。
2. バブルである例証
不動産価格の上昇、投機熱、与信拡大と金融システムの脆弱性
3. 中国政府はバブルを阻止することが出来るか。
同じことはかっての日本の大蔵省やアメリカの政策当事者についてもいわれていた。
4. 中国政府首脳は、経済を明確に理解できていない。
5. 中国は法治主義国家でなく、不正がはびこり中央の政策が地方では実施されていない。

要するに、日本やアメリカで起きていたことがそのまま中国で繰り返されているので、現状はバブルであり、それが破裂する危機が迫っているという。

最後に、私は不必要に人騒がせなことを言っているのではない。心配しないわけにはいかないのだ。中国で起きていることは、我々がこれまで他の国で見てきたことと殆どそっくりなのだ。ユーロの混乱に加えて中国が新たな混乱の震源地になることは真っ平だと締めくくる。


12/19日経・経済教室は、香港オフショア市場の人民元相場(CNH相場)と一般に引用される上海市場の国内相場(CNY相場)のかい離を論じている。CNH相場は、資本規制をくぐって中国に出入りしていたホットマネーの相当部分が向かったと考えられ、需給に基づき自由に値決めされる。CNY相場は人民銀行が変動幅を管理しており、人民元は実態的に二重相場制の状況にある。

これまでは、人民元先高感からCNH相場がCNY相場を上回り10年10月には米ドルに対しかい離幅が2.5%に達した。人民元相場に異変が起きたのは11年9月からであり、香港市場で人民元が突然売られ始めた。

主な数値の推移は次のとおりである。

1 中国人民銀行の外貨買い入れポジション 10月末(2007年12月以来の減少) 25兆4,869億元(前月比294億元減少、約40億ドル相当)
2 9月下旬のCNH相場(3に比べ1.8%減) 1ドル=6.50元
3 9月下旬のCNY相場 1ドル=6.38元
4 9月のNDFレート(先物相場) 2年半ぶりに直物相場を下回る
5 香港で取引される人民元債の流通利回り 9月初めー10月第1週―その後 2.5%−3.8%−4%近辺

これらの指標から、筆者は、人民銀行が一時的にせよ人民元相場を買い支えるため、上海市場でドル売り介入を実施したと解釈できると述べている。人民元の先高感が根強いとみられる中で意外感があるかもしれないが、後述するとおり、最近の中国内外の市場・経済・政治動向とも整合的である、と付け加える。

中国からの資金の流出は、ユーロ混迷による巻き戻しで一時的なものと思われるが、これが継続するようなことになればボディーブローのように不動産業界に影響してくるだろう。不動産業界の動向は、次の日経の記事が参考になる。

12/20日経は、「中国金融緩和、不動産事業の行方は?」という記事で、香港・恒隆地産の陳会長とシンガポール・キャピタランドのリュウCEOとのインタビューを掲げる。陳会長は「準備率下げは、不動産価格の下落のほうが心配になってきたからではないかと思う」、中国の不動産業者の苦境はいつまで続くかという問いには「中国政府が今後、金融をどれだけ緩めるかにかかっている」と答えている。リュウCEOは、中国本土の同業他社はどういう状況かについて、「大変に厳しい」と言う。

資金の流れや業界の苦境を目にすると、クルーグマンの心配は故無しとは出来ないものがある。