ポール・クルーグマン “Greece as Victim”。

6/17/12NYTのポール・クルーグマンのコラム記事“Greece as Victim”。

ギリシア危機について、我々はギリシア的なあらゆるものが誤っているという多くの議論を耳にする。ギリシアに対する非難のいついくつかは正しいが、いくつかは誤っている。だが、それらの非難の全ては的外れである。ギリシアの経済、政治、社会には多くの失敗があるが、その失敗は危機を引き起こした原因ではないし、失敗が危機をヨーロッパ中に広げていくというものではない。
今回の惨状の発生元は、ヨーロッパ北部のブラッセル、フランクフルト、ベルリンにある。そういった地域の上級職員は、大きなーおそらく致命的なー欠陥のある通貨システムを創造して、経済分析の代わりにお説教をたれるという事によって問題を酷くしてしまった。この問題の解決は、発生元であるヨーロッパ北部から出てこなければならない。

クルーグマン教授は、ギリシア危機の本質は、上記のように財政赤字や公的債務の累増ではないと指摘する。アメリカでも住宅バブルの崩壊によって経済は混乱したが、ヨーロッパのような経済危機は訪れなかった。それは、強力な中央政府が存在し、中央政府が問題の起きた州に援助資金を制度的に自動的に送ることになっていたからである。他方、ギリシアは経済が困難に陥ったとき、汎ヨーロッパ政府は存在しないのでその都度ユーロ加盟国に支援を請わねばならなかった。アメリカが何とかバブル崩壊の後始末でギリシアのようにならなかった例として、壮大な住宅バブルの弾けたフロリダ州と1980年代の住宅貯蓄銀行(多くはテキサス州の銀行)の救済例を挙げている。これらの救済では、ワシントンからフロリダやテキサスに資金が送られる仕組みがあったので危機は生じなかった。

そして、昨日のギリシア選挙の結果を次のように総括する。

これらのことは日曜日のギリシア総選挙の結果につながってくる。選挙の結果は何も解決することにはならなかったけれども。与党連合は何とか政権の座にとどまった。しかし、ともかくギリシアだけではこの危機は解決できない。
ユーロが救済されるかもしれない唯一の策は、ドイツやECBが政策スタンスを変え、支出を拡大し、高めのインフレを受け入れるということだ。そうでなければ、ギリシアは他の人々の思い上がりの犠牲者であったと歴史に名を残すことになろう。

フロリダやテキサスの救済例は、われわれも東日本大震災の例でよく理解できよう。もし、日本がたとえば道州制で円を共通通貨として、財政は各道州が独立していたとしたならば、東北三県はギリシア以上のひどい状況になっていた。通貨と財政は統一的に運用されなければならないという教訓が得られる。
もうひとつの教訓は、財政再建が大事だからといって、経済を殺してしまっては金の卵を産む鶏を絞め殺すのと同じことで、将来の債務返済の見通しを失ってしまう。このことがさらに財政への信頼を失うことを増幅する。拙速な増税推進は、危険な賭けであることを知るべきである。
最後にクルーグマン教授の指摘を受け入れるのであれば、国内メディアは自らの主張、即ち、わが国の膨大な公的債務や財政赤字を解消しないとわが国はギリシア化する、は取り下げることである。ブラフとしても、あまり上等とはいえない。無論、膨大な公的債務や財政赤字は大問題であるが、ギリシア問題とは切り離して考えることである。