相変わらずの大塚家具報道

3/8日経「大塚家具、攻防が本格化」「27日総会へ委任状争奪戦」
社長派の主張と会長派の主張を並べ、両者のビジネスモデルを比べ、株主の票の行方を占う。

これでは、ジャイアンツとタイガースのどちらが優勝するかという予想記事と大して変わりはない。主要経済紙としては、考察が浅すぎるのではないだろうか。

事の本質は、上場会社の主人は誰か、その主人のために誰が働くかである。

この筋道に沿って考えると、大塚家具の取締役会は社長派と会長派に分裂し、一般株主の利益擁護という重大な役割において機能不全に陥っていることが指摘されねばならない。大塚家具の取締役は社長か会長の子分だから、一般株主のことを考えるわけがないというのは事実かもしれないが、それでは何時まで経っても取締役会はどうあるべきかという本質に迫れない。

企業統治指針によれば、企業統治の定義とは「透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組み」であって、「それぞれの会社において持続的な成長と中長期的な企業価値の向上」を目的とする。

だがこの指針の定義と目的は、現状の社長中心の日本的経営体制を維持する隠れ蓑に過ぎない。取締役会が社長のボスとなって、首を切ったり後継者を決めることは絶対認められないのである。

3/7日経「議決権行使助言、米ISSの新方針」「トップ選任、ROE基準に」では、ISSのマーサー・カーター氏は「(社外取締役は)経営陣のコンサルタントではなく、株主の観点から取締役会で主張する人を株主は求めている」と述べる。欧米では、これが当然の理解なのである。ここでの株主は、大株主や創業家ではなく、一般株主を示す。

日本の取締役会改革は、これまでの制度改革がそうであったように制度の精神を置き去りにして形だけをまねるものである。