私の履歴書 ファナック会長・稲葉善治

異例の「私の履歴書」だった。題は、「父と私の履歴書」が相応しかった。1回目から最後まで父・稲葉清右衛門(1925-2020)が登場して、息子の稲葉善治の影は薄かった。稲葉善治は、偉大な創業者からどのように脱却し、独自のカラーを打ち立てるかに苦慮していた。

 

今も独自の技術力を誇るファナックは、DXの先駆者であった(注)。今の日本の経営者は先駆する能力・意欲を失っているように見える。日本人には先駆する能力が欠けているのか、それとも、そこで満足して進むことを止めているのか。

(注)1/31日経経済教室「製造業のデジタル化」柴田友厚・学習院大学教授は、1976年にファナックモトローラプロセッサーを工作機械の自動制御に導入したことを指摘する。実にintel insideの約15年前で、世界初の発想だった。ここが機械のデジタル化の出発点だった。