日経・文化 「震災と歌枕」作家・佐伯一麦

3/4(日)日経・文化 「震災と歌枕」作家・佐伯一麦仙台市在住)

古今集壬生忠岑 「名取川
陸奥にありといふなる名取川 なき名とりてはくるしかりけり
名取川という名の響きに、京の貴族たちは、遥か北の地の陸奥にあるという見知らぬ川に思いを馳せて、恋の思いを託してきたのだろう。


多賀城市の住宅地には、「末の松山」という歌枕がある。
古今集 東歌
君をおきてあだし心をわがもたば 末の松山波も超えなむ

清原元輔 百人一首にも採られる
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは


しばしば貞観津波以来、という言葉を聞くこととなったが、今回の津波でも、波は「末の松山」を超えなかった。
その近くには、芭蕉が同じく「奥の細道」で歩いた歌枕の「沖の石」があるが、こちらは車が流されてくるなど津波が押し寄せた。


慶長三陸津波の78年後の1689年に芭蕉多賀城を訪れて、古人の心を想っては哀傷の思いを深め、鄙びた調子の奥浄瑠璃を聞くともなく聞いている。芭蕉にとって、旅に出て歌枕を訪ねることは、厄災の中で生きた古人たちの心へつながることだったのだと、今にして改めて思わされるのである。