自由貿易が善の善たる体制なのか

日欧EPAが大枠合意した。安倍首相は「成長戦略の切り札だ。政府一体となって総合的な対策を策定する」と表明した(7/14日経夕刊)。「総合的な対策」といっても農家への支援で、成長への骨太な道筋は見えてこない。

安倍経済政策はともかく、メガEPAやメガFTAは本当に国民を幸福にできるのか。
かっての牧歌的日本経済は企業の発展=国民の幸せであった。グローバル化の進んだ現在においては、企業と国民の関係は崩れてしまった。企業は、国民を置き去りにして世界の何処へでも行くことができる。当初は国民の購買力は維持されているから、国外で低コストで生産して日本国内で販売すると企業は大きな利益を得ることが出来た。
これが行き過ぎると、国内の雇用が次第に縮小し、国民の購買力は低下する。合成の誤謬である。

日経は財界の代弁者であるから、企業の利益が出るグローバル化を支持する。
安倍政権は財界と一心同体であるから、国民の幸福を考えない。

企業の発展と国民の幸せの関係が崩れた現在、経済政策は企業ファーストなのか国民ファーストなのかが問われている。
所得倍増を実現した池田総理の軍師であった下村治「日本は悪くない」(1987刊)は述べる。「では本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人がどうやって食べてどうやって生活していくかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることは出来ない。(中略)その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」と。

日経やさしい経済学は6月中旬に「グローバル化ナショナリズム」施光恒・九州大学准教授を連載した。政治論からのグローバル化批判である。グローバル化一辺倒の日経がこのような連載を掲載するのは、グローバル化だけでは駄目だという良心(?)の疼きだったのかもしれない。
グローバル化の根拠とされる比較生産費説ですら、政治学から見ると国民の幸せにはつながらないと指摘する。