稀勢の里が引退 悲劇を繰り返すな、ドクター・ストップ制の導入を

19年ぶりの日本人横綱が、怪我に泣いて引退した。19年ぶりとは、20年に一度の逸材ということである。このような才能を失うことは、過去にもあった。2003年1月に引退した貴乃花である。貴乃花は01年5月場所14日目に右膝半月板を損傷する大けがを負った。本来休場すべきほどの重傷であるのに、千秋楽も出場して、決定戦で武蔵丸を豪快な上手投げで破った。勝利を決めた直後の鬼の形相と奇跡的な優勝に小泉純一郎は表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!おめでとう!!!」と貴乃花を賞賛したことは、多くの人の記憶に残っている。

だがこのような賞賛は、アスリートの選手寿命を縮めるだけの愚行である。

土俵下には5人の審判員が相撲を監視している。彼らに力士の状態をチェックさせて、必要であれば医師の診察を受けさせ、医師が続行不可と診断したなら、その力士を強制休場にすれば、貴乃花稀勢の里の悲劇は避けられるだろう。相撲ファンにとって、強い力士が長く活躍するのははるかに望ましいことだ。相撲界にとってもスター力士が長く活躍することは、繁栄の礎である。

日経:けがしても休めぬ 稀勢の里追い詰めた使命感
2019/1/16 11:30
成績が低迷した一番の要因は、言うまでもなく左大胸筋と左上腕のけがだった。全勝で迎えた17年春場所13日目。横綱日馬富士に鋭く潜り込まれて土俵下に落とされ、左胸付近を押さえながら動けなくなった。それでも14日目と千秋楽を強行出場、千秋楽は左腕が使えないなか、本割と優勝決定戦で大関照ノ富士を下して、奇跡ともいえる逆転優勝を飾った<<

ウイキ 勝負審判:勝負審判は、土俵の東西に各1人、行司溜に2人、正面に1人の合計5人配置される。

ウイキ 貴乃花:(貴乃花は)(2001年)5月場所は初日から13連勝して完全無敵の強さだった。しかし14日目の武双山戦で土俵際で巻き落としを喰らって右膝半月板を損傷する大けがを負った。もはや立つことも困難なほどの重傷であり、本来休場するべきところであった。[11]二子山親方ら関係者も休場するよう貴乃花に勧めたが、幕内優勝が掛かっていたため、周囲の休場勧告を振り切り、翌日の千秋楽は無理矢理強行出場した。千秋楽はテーピングをせずに、横綱土俵入りを披露した[25]。しかし本割りの仕切り[26]最中にすら右膝を引き摺るような仕草があり、勝負にならないことは明らかであった。その悲惨な状況に審判部として土俵下に座る九重は仕切りの最中にも「貴乃花、痛かったらやめろ!」と忠告したほどである[27]。予想通り千秋楽結びの一番の武蔵丸戦では、武蔵丸の立合いの変化に全くついて行けず一瞬で勝負がつく様な敗退で武蔵丸と相星となった[15]。

続く優勝決定戦は誰もが武蔵丸の勝利を確信せざるを得なかったが、大方の予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破った[28]。勝利を決めた直後の鬼の形相[1]と奇跡的な優勝に小泉純一郎は表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!おめでとう!!!」と貴乃花を賞賛した。
2001年(平成13年)7月場所後、大けがをした右膝の半月板を除去する手術をフランスで受けて再起を目指した[9]。しかし貴乃花は2001年7月場所から2002年(平成14年)7月場所まで、1年以上も全ての場所で休場となってしまう[11](なお7場所連続全休は大相撲史上ワースト1位である[3])。

2003年(平成15年)1月場所8日目の安美錦との一番を最後にその翌9日目でついに現役引退を表明。